ジブリ映画製作に学ぶプロジェクトマネジメント術。「仕事道楽 新板」より

裏話

 

ジブリのプロデューサー 鈴木敏夫さんが書いた本「仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場」を読みました。

以前から持っていたのですが、定期的にジブリ作品を見たあとに読んでは新たな発見があります。(忘れているのもあります)

今回は「プロデューサー」としての仕事術という話を読んでいたときに、私がIT/システム開発/Web開発などの仕事をしているときの「プロジェクトマネジメント術」に参考になるなあと感じたことを紹介したいと思います。

ジブリのプロデューサーを歴任した鈴木敏夫さんが学んだ、高畑勲さんの仕事術

鈴木さんは徳間書店(「アサ芸」や「アニメージュ」などを出版している、スタジオ・ジブリ創業時のオーナー企業)で編集者を務めた後、アニメージュの副編集長時代に高畑勲さん、宮崎駿さんと出会ったことをきっかけにジブリのプロデューサーを歴任されてきた方です。

映画プロデューサーのしごとは、監督のサポート・映画の進行管理・宣伝が主な業務ですが、鈴木さんは編集者時代におそらく宣伝などは経験があったと思いますが、映画の進行管理自体は「火垂るの墓」や「平成狸合戦ぽんぽこ」などを手掛けた高畑勲監督に学んだと話しています。以下は、鈴木敏夫さんが宮崎駿さんに「風の谷のナウシカ」の映画化を依頼した際に「高畑勲をプロデューサーにすること」を条件にされたため、高畑勲さんにプロデューサーをしてくれないかと頼みにいったときのエピソードです。

すこし長いのですが、高畑勲さんが唯一プロデューサーを務めたときの経緯と仕事術が詰まっているので一文すべて引用させてもらいます。

プロデューサー高畑のすごさ

高畑さんがいかに理屈っぽいかは、最初の電話からわかっていたことでしたが、このときあらためて実感させられました。首を縦にふらない。二週間も通ったあげく、彼がぼくに示したのが大学ノート一冊。ともかく彼は大学ノートに書くのが好きで、いまのようにワープロがない時代、一回書いたら書き直せないんで大変だと思ったけれども、そこに調べたことをどんどん書き込んでいる。自分がつきあってきたプロデューサーのことから、日本のプロデューサーにはどんなタイプのプロデューサーがいたか、アメリカ型のプロデューサーはどうか、ヨーロッパはどう違うか、等々。挙句の果て、映画にとどまらず、演劇にまで及ぶ。

それで「鈴木さん、この大学ノートが一冊終わっちゃったんですよ」。見せてくれたからパラパラめくる。そうしたら、ノートの最後の一行が「だから、ぼくはプロデューサーに向いていない」。二週間もつきあったんですよ、ぼくももういいかげん嫌になってしまう。

もどってから宮さん(くらしのワルツ注:宮崎駿さんのこと)にあらためて言いました。「宮さん、高畑さんがプロデューサーじゃなければいけないんですか?」。そうしたら、彼は黙っている。そして「鈴木さん、お酒を飲みに行こう」と言い出しました。ぼくはお酒が飲めません。それは宮さんは十分知っているし、宮さんもふだんは酒場に足を踏み入れない人です。それなのにそう言う。ぼくも黙ってつきあいました。

飲み屋に行ったら、宮さん、日本酒をガブ飲みするんですよね。ぼくはもうびっくりしました。それまでぼくが見たことのない宮崎駿です。それで酔っぱらったんでしょう、気がついたら泣いているんです。涙が止まんないんですよ。ぼくも困っちゃってね、言葉のかけようがなくて。黙ったまま、とにかく浴びるように飲んでいる。そして、ポツンと言ったんです。「おれは」と言い出すから、何を言うかと思ったら、「高畑勲に自分の全青春を捧げた。何も返してもらっていない」。これには驚かされました。ぼくも言葉が出ないし、それ以上は聞かなかった。「そうか、そういう思いなのか」。

ぼくはその足で、高畑さんのところへ行きました。「高畑さん、やっぱりプロデューサーをやってください」「いや、このあいだ話したように、ぼくは向いてないんですよ」。つい、でかい声になりましたね。「宮さんがなってほしいと言っているんですよ、宮さんがここまでほしいと言っているんですよ。友人が困っているのに、あなたは力を貸さないんですか」ぼくが高畑さんの前で大きい声を出したのは生涯一回、そのときだけです(たぶん)。もう理屈じゃないです。そうしたら高畑さん、「はあ、すいません、わかりました」。これでやってくれることになった。

しかし、いったんやるとなったら、高畑さんはすごい力を発揮しました。じつは監督がプロデューサーをやるというのは、かなり辛いことなんです。立場が反対になってしまいますからね。でも僕はこのとき、高畑勲という人のプロデューサーとしてのすごさを知りました。

まず拠点とスタッフを確保しろという指示からはじまって、宮さんに負担をかけないかたちを考え、実行していく。予算の立て方ひとつでも、非常に合理的、現実的で、僕は感心しました。原画カット一枚いくらとか、みんなの作業を全部数値化して、単価を決める。それを積み上げ方式で算出して、部門ごとに基準額を設定する。これはとてもわかりやすい方式で、参考になりました。

とくにぼくにとってよかったのは、高畑さんが専門職のプロデューサーでなく、彼にとって初めての経験だったことです。物事をなんでも原理原則に戻って考える人だから、これまでの常識とかみんながやっていた方法にはとらわれない。考えながら勉強しながらだから、話は具体的になって、素人にもわかりやすい。僕にとって大きな勉強になりました。つまりぼくは、高畑さんからプロデュース業とは何かを学んだといっていい。

あとで、高畑さんに聞いたことがあります。「プロデューサーでいちばん大事なこととは何ですか?」。高畑さんの答えは明快でした。「それはかんたんです。監督の味方になることです」。要するに、監督というのは孤独な作業だ。いろんなスタッフが支えるとはいっても、孤独な闘いである。いろいろな圧力がかかってくるのだから、プロデューサーは何よりもまず、作り手の味方であらねばいけない、というわけです。これには納得させられました。

(「仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場」p40-43より)

高畑勲さんの合理的な考え方、シンプルな考え方はIT/システム/Web開発の現場でも言えることだと思います。予算からスタートするのではなく、まず作品のゴールがある。積み上げで工数を算出して、計画を立てていく。

そして一番大切なのは「監督の味方になること」と言います。

これを読んでいたときに、ハッとしたのは「Web開発にはプロデューサーがいても、監督がいない事が多い」という点です。映画においてプロデューサーと監督の2人がいることは、予算や現実的なリソースを管理する人間と、作品を作り上げる監督が分かれる点においてとても重要です。

ものづくりをする人間(監督)が、予算やリソースなどの制約を受けて作品作りをしなければいけないほど酷なことは有りません。

ちなみに、高畑勲さんは”監督”のときはめちゃくちゃに納期を守らず、いいものをつくることだけを考え抜く人間です。高畑勲さんの作品作りについては以下に詳しく書いています。

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ジブリ的”プロジェクト”マネジメント

この話を見て思ったのは、プロジェクトマネジメントと、プロダクトマネジメントの違いのこと。

わかりづらいですが「プロジェクトマネジメント」は、要するに「予算や計画の管理」を担う人。IT/システム/Web業界でもこの役割は重要です。

一方で「プロダクトマネジメント」は、最近明確に定義されつつありますが、要するに「企画責任者」のこと。Web/アプリ系のサービスにおいてはこのものづくりの責任者の立場が曖昧なことも多く、事業責任者が兼務をしたりしますが、「ものづくりの価値を最大化する」という点で、映画づくりの「監督」と同様に明確な役割を置いたほうがいいと思っています。

今回のエピソードで言うと、

高畑勲さん→プロジェクトマネジメント

宮崎駿→プロダクトマネジメント

という役割をはっきりさせることがプロジェクト成功の鍵になるんだろうなと思いました。ミッションの違いによってはっきりと仕事のスタイルを変えた高畑勲さんはスゴイなあと思いました。

まとめ

私はもともと「プロダクトをつくる」ことは好きですが、プロジェクトを管理することはとても苦手でした。ですが、この話を見たときに「監督がプロジェクトに徹する」という感覚に共感をしたので、徐々にプロジェクトマネジメント技術も身につけるようにしています。

高畑勲さんが行ったようなプロデューサーのしごとを理解すること、合理的に管理を行うことはどの業界でも言える仕事術なのではないでしょうか。

終わりに、これもジブリ的PM術といえる進行管理表を引用したいと思います。詳しくは書籍をご覧ください。

 

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