ジブリ映画「もののけ姫」の考察・感想。壮大すぎるが故に名作、全く理解できない。

あらすじ・ネタバレ・考察

© 1997 Studio Ghibli・ND

昨日、もののけ姫を見た。とにかく感動した。

もののけ姫を初めて知ったのは小学生の頃だったけど、当時の僕はもののけ姫が血を浴びているポスターが怖くて、大人になるまで見ることができなかった。

それがようやく23歳頃に今の妻に「もののけ姫見てないなんてありえない」と言われたことがきっかけになって見ることに。

妻の言葉通り「見てなかったなんてありえない」ほど感動した。

今回はそれから数年が経ち、2回目の鑑賞だった。

本当に、ありえないほど感動したので、ぼんやりとだけど思ったことを書いておこうと思う。

「もののけ姫」のネタバレありの考察 – 物語の解釈ができない壮大さ

映画もアニメも好きな僕は、一応物語の筋書きだけではなく、時代背景や物語を通じて描きたい世界観、文脈なんかも解釈できるように鑑賞をすることにしている。というか、してしまう。

だけど、もののけ姫は二回目だと言うのに、ようやく物語の筋書きが理解できたくらいで、表現の解釈ができなかった。

例えば、冒頭でアシタカが祟り神に追い回され、殺してしまえば自らも祟りを受けることを覚悟しながらも、村人を守るために祟りが憑いたイノシシの守護神を殺してしまう。すると、祟り神を殺した矢を射た右腕は祟られ、痣が滲み始める。

その痣を治す方法がないかと村人と相談をしたアシタカは、村を出て旅に出ることになるのだが、その際に村人の娘に小刀の飾りを渡される。私だと思って身につけて、と。

しかし、その小刀のお守り、アシタカは物語の終盤でもののけ姫、サンに渡してしまう。

どういうこと!?

しかし、両シーンとも感動的なのだ。

細かい人間描写も素敵だし、先に紹介したイノシシの祟り神は結局人間が自然に対して行った仕打ちを、アシタカという人間に仕返しただけ。人間が自然に対して犯した罪は、人間が報いるという表現。

細かいところはわかっても、どうにも全体が掴めない。映画表現が手の中に治らない。

かんたんに理解できるものは、名作にならない。

そこで気づいたのが、名作というのは、手の中に治るようなものではないんだ、と。そして、あるいは人間の人生、生活、それを超えた地球、生命の現実というのは、それくらい収まり切らないものであって、綺麗な物語のように解釈のしようがあるものなのかもしれないということ。

僕は今「保険探偵」というミステリー小説を書いているが、その中で物語の整合性、ロジックというようなものに執着しているし、ミスリードを過度に恐れている。そして、それは世の中に多く存在する映画、アニメ、漫画にも見られるような気がする。

物語は綺麗で、解釈は別れなくて、別れたとしても著者が説明を入れてくれたりなんだり。

しかし、宮崎駿の作品はというと、解釈は別れに別れ、都市伝説が大量に生まれ、トトロは亡霊でさつきとメイも幽霊。おかあさんも幽霊だっけ? 表現の根拠はどこにある? その真偽は本人に聞かないとわからないが、とにかくそれでいいのだなと思った。

とてつもない散文だが、今回は駄文を承知で公開しよう。そして、改めてもののけ姫を見て、もう少しでも理解できたときには、改めて記事を買いてみようと思う。

 

※画像はスタジオジブリ公式サイトより(画像公開も鈴木敏夫さんの思いがありました「スタジオジブリ作品、場面写真の提供開始の裏に「消える」危機感」)

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